JUNgem

ARTIST からEARTISTへ
ライフワーク「EART」を求めて発展途上
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    ハワイから帰ってきました!そして再始動 その2<サーフィン>
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      僕は昔からサーフィンにあこがれていました。

      ハワイで初めて体験したサーフィン…
      それは多くの気づきと癒しの時間でした。
      今回の旅で多くの学びを得てそれを踏まえて再始動!
      3月1日、大阪、AManto天然芸術研究所でダンスパフォーマンス再開します。
      今回は雅楽の笙を操るkikoとトルコの弦楽器サズを操るSefaのお二人と共演です。
      kiko 笙
      身体哲学ファイルLOGOシリーズ
      Body Philosophy File, Logo series
      「 豺 ( SAI ) 」
      http://d.hatena.ne.jp/dancingjun/20080301

      今回は、本番を前にしての今の心境とこの旅で得た事の総括として
      シェア、パート2です。



      人生サーフィン…

      大自然を相手にするエコロジカルスポーツ「サーフィン」は
      娯楽としてより、僕にとってはそのルーツとなった古代サーフィン「 He enalu 」
      としての意味のほうが大きいのです。

      太古からミクロネシア、ハワイの人たちは神である自然と一体になる儀式として
      「 He enalu 」を行っていたと聞いていました。
      サーファーは海で神に祈り、特別な呪文を唱えながらレイで海面を叩いて
      良い波を呼び寄せる…。

      サーフィンはスポーツであると同時に神聖な儀式だったのです。
      (あのカメハメハ大王3世もサーフィンの達人だったらしいです^^
      スポーツと宗教、政治すらまだ未分化だった古代のハワイでは自然と融合し
      コントロール下におえる偉大な指導者こそ王にふさわしかったのでしょう)

      サーフボードの板も宗教儀式を執り行って作る大切な道具と考えられていたから
      日本の昔の職人と同じく儀式と祈りをささげ自然物を加工してきました。
      (伝統的な日本の職人の家の神棚には神道の神と彼らが神道以前から信仰してきた
      古代の自然神を祭ってあるものですよね、それと同じです)



      ボードを作る木には供物を捧げ、祈り精霊に許可を得てから
      切り出す、出来たボードには祈躊師が祈りを捧げ、初めて海で使う…

      さらにハワイアンは使うたびにククイの木の樹脂を塗り、
      海から帰ると乾かしたボードは、
      木の皮で作ったタパ布で包んで保管せねばならなかったのです。

      僕の言葉で表現すれば、これは自然と人社会がつなげるための芸術であり
      古くなることのない消費されないアート、典型的なEART(天然芸術)であるといえます。
      僕のライフワークがEARTISTとして生きる事なので
      サーフィンに興味がないわけはありません。




      待つことが最短?

      僕は元来天邪鬼(あまのじゃく)な性格なのか、
      本物だと思えば意思はすれども、現象を動かそうとそれに向けての努力はしない人です。
      一旦、アプローチまたは決意をすると、
      一定期間放置して向こうから縁がくるかを待ちます。

      本当に今の自分にそれをする資質があるのか、するべきものなのか…
      単なる欲望ではないのか…それに見合った努力は怠っていないか…などなど

      そして本当に天地にとっても僕にとっても行うべきものなら、
      自然にあちらからご縁がやってきて、最もやるべきタイミングで
      事が起こり最小の動きで最大の効果をえる事ができます。

      近頃はやりの「願望達成法」「思考は現実化する」「強く念ずれば引き寄せる」…
      などの処世術とは真逆です…

      しかし僕は子供の頃から、この人間のエゴが願望を達成して
      ゴミと紛争のもととなっていたのではと夢がかなう事に疑問に持ち続けてきました。

      だから、「努力はすれども意図はせず」「結果を求めず今を生きる」などと
      思って生きてここまできています。
      するとどうでしょう、「成せばばなる」という次元から
      「無さざれば成る」という境地に到着します。(これを必然達成と名づけています)

      さらに不思議な逆転現象が始まります。
      数十のシンクロが同時に発生し現象が現象を引き起こします。
      ただし今の自分の意図が必ず反映されるとは限らないのですが…
      人間、今の自分と10年後の自分が同じ願望を持っているとは限りません。
      人は成長するのですから違ってて当然です。成長して何をするのかと
      言えば、やはり人の役に立つために学ぶのですから、なら今すぐ役に立てる事をしよう…
      そうして大きな流れに身をゆだねる結果になり、最適が連続していくのです。

      つまりこの2つの大きな違いは、自分のちっぽけな大脳レベルでは考えられないような
      大きな流れの一パーツとして心の波乗りが始まるという事なのです。
      よく僕は自分の経験を人に話していると
      「一体おいくつなんですか?」とか
      冗談まじりで「実は数百年も生きてるんじゃない?」
      などどいわれます。
      一事に集中している人にはそう見えるのでしょう。
      無為自然とは実は時間がぎゅーと凝縮されるので
      様々な波に身をまかせます。
      瞬間を生き必然を達成するとなると結果を出すことが目的ではなくなるので
      最低5つから6つの(時には何十もの…)事柄を同時に進行させる事になるので
      おのずと経験も5〜6倍、(いや、それ以上…)
      シンクロが重なればその経験値は指数関数倍となります。
      しかし忙しいように見えるだけで実は普通の人とたいした変わりはありません。






      中身を理解して使いこなす

      よく最近こんな話を聞きます。
      「神社にお参りにいくようになったらシンクロがすごいの…」とか
      「すべてが向こうからドンドンやってきて勝手に繋がっていくぅぅぅ…
      これがシンクロなのか…!!」

      しかし、考えてみると、これらの事に興奮するという事は
      「なんだかわからないけど、そうなるのが…すごい!」という意味。
      つまり自ら原因は理解していないと暴露しているようなものです。

      …シンクロをコントロールしてるわけではないのです。


      道理がわかっている人にとってはシンクロでないとおかしい日常というものがあります。
      今を生きる人々はその仕組みや法則を理解して使いこなしているのではなく、
      シンクロに使われている側が大半であるという事を
      どれだけの人が認識しているのでしょうか…

      ジャンヌダルクも坂本竜馬も当時は自分におきるシンクロとそこから気づく
      気づきに使命を感じ、真剣に時代を変えいきました。
      しかし現象を動かせても、それがどこから来て同作用しているのか知らなければ
      短命で終わる事にないます。
      では僕らに日々大量に起こっているシンクロを使って、
      我々は実際どんな未来に貢献しているといえるでしょう!?

      自分がシンクロが起こりは始めた時、考えなければならない事は
      自分の実力でそれが起こっているのかという自己観察です。

      A)時代の流れにのって自己実現しているのでは…?
      B)大いなる意識の傘下入って自分にも影響が出ているのでは…?



      たとえ話をするなら…

      「銀行のキャシュディスペンサーにカードを入れると
      お金がドンドンでてくるらしい!!」
      そう噂を聞いて、不思議なシンクロと神のえにしを感じてた男がいたとします。
      彼は神様に感謝して銀行にいきました。
      彼は実際いわれたとおりカードを機械に入れます…すると、あら不思議。
      キャシュディスペンサーから湯水のように現金がでてくるではないですか…!!

      「すごい、すべてがうまくいっている!
      ツキが廻ってきた。俺は感謝を忘れないから今後は
      幸せがドンドン止まらなくなるだろう!!」

      …どうでしょう…無知といわざるをえないです。

      毎日起こっていたラッキー(現金?)も、預金がなくなる日がきます。
      ある日突然キャシュディスペンサーから現金は、でてこなくなります。

      「おかしい!お金が必要になるとシンクロして銀行の看板が眼に入ってきてた。
      だから神の意思だと信じてたのに…」

      そこで男は又、自分と同じような境遇の人から別の有効な情報を手に入れます。
      「消費者金融の機械にもカードを入れると現金がでてくるらしい…!」

      ここでこれが彼の起こしているシンクロが考えてみましょう。

      A)時代の流れにのっている(たとえば好景気、低金利の時代)なら、
      本人は、なんだかわからないけど色んな会社はお金を貸してくれます。

      B)大いなる意識の傘下入っていれば(たとえば一流企業のの社員だとか…)
      これまた現金が借り続けられます…

      しかし厳密には自分の実力ではありません…

      この人がその道理を理解せず、自分は(願えば全ては叶うんだ」
      とばかり独立したらどうでしょう。
      さらに時代の流れも無視して個人の願望(欲?)実現のため独立するのなら…

      彼はひたすら成功を信じすぎるあまり、失敗に反省せず周りのせいにするか、
      少しマシでも「学びのために失敗したんだ」と巻き込んだ仲間の傷もなんのその
      たいした改善もせずポジティブに自分を励まします。

      失敗の連続は目に見えています。

      いそがば廻れ、まずは道理を理解して、
      ポジティブに考えるより現実を見つめ、ご利用は計画的に…という事ですね^^


      これは経済を例に心の背景にありがちな落とし穴を説明したお話です。
      しかし心の貯金についても経済と同じことがおおむね言えるのです。

      だから僕は興味本位ではじめるのには慎重です…ご縁があるまで自分からは
      近づかなかったのは熟考し、環境を熟成させて対象(この場合サーフィン)
      が近づいてくるかです。

      サーフィンは僕にとっては、神聖なものだからこそ、
      願望達成ではなく天の許しがくるまで待つことにしていた…という感じですか…。

      それは今回、正しかったと確信できる事が体験できました。


      僕にとってもサーフィンとは

      今回、あんなに思っても近づきもしなかったサーフィンへの憧れ…
      このタイミングで、それもハワイのオワフ島で僕にはその機会がやってきたのです。
      さてその意味はなんだろう…僕は自分の心に問いかけながら
      レンタルボード屋さん訪ねました。
      そして初めて本格的なサーフィンを体験したのです。


      サーフィンの世界、それは僕にとって「天国での瞑想」
      という言葉がぴったりの体験でした。
      パドリングしてアウトにでるというだけで喜びと恍惚感ともいえる至福に包まれます。
      大きな癒しの力を持った圧倒的な大きさの海…
      一心不乱に沖へ向かう僕はその時、未来も過去も消えて
      ただそのものの存在を生きていました。

      成長したい、進化したい…人の役に立ちたい…
      それらがすべて、おごりであったと自覚できます。
      素直に自分の小ささ、無力さを味わい、危険の真っ只中で至福を感じます。
      こんな感覚は久しぶりでした。
      ダウンリバーのラフティングガイドをしていた頃、クラス4のフォール
      (巨大な水の落ち込み)に落下していく時、なんの恐怖もなくただ「あっ俺死ぬな…」
      と観念したとき…
      意味の判らない至福感と恍惚感に襲われました…脳内モルヒネがジャージャー
      分泌されたのでしょう。
      顔が引きつり…いや、それは恐怖ではなく笑いがこみ上げてきて
      押さえられないのです。
      そのまま二度と出られないであろう滝つぼに突入していくのです。
      (幸いな事に今生きていますが^^;)
      川くだりはあの興奮が忘れられなくて、ガイドまでやっていたような気がします。

      今回のサーフィンはその時を思い出させてくれました。

      年月を重ね、極限状態に追い込まなくても、生の喜び…生きている実感、
      あの至福を感じれるようになったんだな…そう思いました。

      微細なものから得られるものが、極限から得ていたものより大きくなる…
      …(我ながら上達したなぁ)

      一周廻って戻ってきたと気づきました。

      そう…石ころの裏に至福が転がっている…子供ころ僕はそうでした。

      変化する雲の行方を追って嬉しくて、どうしようもなくスキップしながら
      雲を追いかけて雲と話していた自分を思い出しました。

      それはどんな意味があるのでしょう…
      明確に言えることは、

      人生の辛苦を知った上での純心はこの上も無い知恵への入り口だ。


      という事です。

      大人のタフさ子供純粋さ…それを極大まで広げられたとき、
      人は現状が苦しくても知恵を求道する探究心と情熱を忘れなくなります。
      元気になってから努力しようではチャンスを逃します。


      さて…パドリングで沖に出ると今度は、
      ひたすら自分が乗れる波を待つことになります。

      当然、上級者より僕ら初心者が乗れるようなやさしい波は滅多にきません…
      それはイライラする時間なのでしょうか?

      波まちをしている時間、僕は又別の至福に包まれていました。

      時間のない世界で自然と一体になって、自然の偉大さに驚愕し恐れても仕方ないと
      身をゆだね…ただひたすら地球が丸かったと波のくる水平線を眺めています…。
      (僕らは初心者にありえない波の高い沖で練習していたのでした^^;スイマセン)
      ああ…自分は小さい、ありがたい(有り難い…)
      この時間をくださった神というものを自然と信じられるようになります…

      次に…

      チャンスがきて懸命に波に立とうとする…という波との格闘が始まります。
      …当然うまくいくはずもありません。
      しだいに現実を把握し受け入れるようになります。

      自然は圧倒的…波に立つのではなく波に乗るのだ…

      なんとか波に乗はじめた時、今までの人生でのすべての経験をこんなシンプルな事に
      凝縮している自分に驚愕しました。
      サーフィン恐るべし!!(^^;)

      それまで、サーフィンにあこがれてはいたものの…
      で、それでどうなるの…という疑問がありました。

      僕にとってサーフィンの謎が解けた部分がありました。
      競技スポーツで優勝して名誉を得る…
      技能を修得して生活に役立てる…
      そんな相対的な世界ではないスポーツ…
      スポーツでないスポーツそれが僕にとってのサーフィンでした。

      今、その存在になりきるという時間の無い世界で僕と星とのつながりを
      畏敬の念の中で体現させてくれるもの…それがサーフィンだったのです。

      ここで僕はさらに大きな気づきを得ます。
      都会で取り組んでいた理屈、理論という大脳の世界に
      サーフィンから得られる種類の知恵…つまり小脳、間脳の世界が
      統合されていったのです…




      子供な大人


      僕は今回の旅にでる直前、大都会の喧騒の中
      ドロドロした現実世界に付き物の一つの命題に取り組んでいました。

      人との融合、和合…平和哲学…それらをいくら努力しても
      歴史的にはどんな人にも必ず逆縁の人々が現れます。

      妬みや恨み、悪意を持った人はその毒で自分を癒し(実際は害して)、
      その報いを受け取らないために毒を出し続けなければなりません。
      戦争を正当化する国が永久に戦争を続けなければならないように…

      正義は必ず勝つと信じてきた僕にとってガンジーやキング牧師が暗殺されたと知った
      のはまだ10代でした。
      目の前が真っ暗になり混沌として世界に希望の光はないように感じられました。

      彼らのような偉人でなくても互いに相手をつぶすために悪意でぶつけ潰しあいを
      辞めようとはしないのが人間社会です。
      しかも、やっかいなのはどの悪意というものも本人には正義なのです。
      自己の正義を他に強要するために人は戦争をしかけます。

      世界の戦争はすべて正義と正義との戦いです。

      正義と正義のぶつかり合いは敵討ちと同じく終わりがありません。
      僕は悪意がある人の前ではひたすらそれを受ける事にしています。
      自分が受け取らねばその人の出しているものが毒なら
      必ず毒として本人に帰っていくからです。

      しかし、そうした偉人達は何故殺されてしまったのでしょう…
      そんな時代だったといえばそれまですが、
      それに対し僕はハワイに向かう飛行機の中であるインスピレーションを得たのでした…。

      ちなみに、僕は飛行機の中が大好きです。(変わってますよね^^;)
      どんな長距離フライトも苦ではありまん。
      それはじっくり、瞑想と妄想、そしてしっかり自分の考えをまとめる
      一人の時間を確保できるからです。

      フライト…それは僕にとって一番の勉強時間なのです。

      今回のフライトで僕に降りてきたインスピレーションは、「真の逆縁の克服」という
      命題の答えでした。それは時間の構造に関する大いなる妄想と空想からくる
      巨大な仮説の構築でした。
      その膨大な図式とアイデアはここに書くには量が多すぎます。

      しかし世界の理屈を仮説するのが大好きな妄想家の僕は、マヤの時間論の一部である
      未来から過去に流れる時間…という概念と中国の陰陽対極図の概念を
      日本の古神道の「むすひ」の思想で融合させるという荒業でした。

      殆ど一気に書き上げたその理論によれば悪意のある逆縁の人を潰したり、
      壊したりするのは、いとも簡単な事だという事…。
      しかし、未来の自分から今に流れる時間があるとするなら
      逆縁をも使って自分の将来のために必要な仕事をさせ、戦わずともその人たちに
      徳んでいただき、和合していく事が可能だという結論に達したのです。
      それには古神道「むすひ」の技法が要となりました。

      「逆縁の真実」と名づけたこの気づきは、シンプルな事実を背景としています。
      逆縁であろうと順延であろうと、世界には出会いたくても出会いきれない人が
      大多数なのだという事…縁があるというだけで、類まれな濃いご縁のある人なんです。
      それはやはり感謝して大切にするべき魂なんだという気づきからきています。

      嫌悪は何も生み出しません…敵討ちは連鎖するのです。

      自分やその相手にとっての未来のに、こちらが正しい処置をすれば、
      はるか未来であっても、それは良縁となって帰ってくるはず…
      それが僕の立てた壮大な空想科学…仮説であり
      僕は飛行機の中でその具体的な方法論をつくりあげる作業に没頭していました。

      どれぐらい時間がたったでしょう。
      一段落して、かなりの充実感と達成感にそして心地よい疲労感が僕を包みます…
      しかし、一つの疑問が頭をもたげてきます。

      何かが足りない…


      この仮説を実践するには、まだ自分には足らない何かがあると
      心の底から声が聞こえてきます。

      常人には未来や過去に対し思考せず感じるという事は不可能です。
      なぜなら未来や過去という時間概念は
      大脳が活性化され思考するという事を身につけ初めて可能になる事
      生まれたての赤ん坊には明日、昨日という概念、記号はないのです。


      ここで僕の思考は止まってしまいました。
      これは論理的帰結は得れても一般的には不可能だ…






      しかし…



      実は、このサーフィンでの「時間のない今感覚」
      (つまり過去でも未来でもない両方を包含せしめる永遠の一瞬)こそ
      この足らない何かだったのです!!




      子供はハイハイから伝え歩きをし2速歩行をするとき、「絶対2本足で歩いてやる!」
      と願望達成をしているのでしょうか?
      辛さを耐え忍び2速歩行という成功を夢見て
      努力を自分に言い聞かせているのでしょうか…?

      違います。

      歩いては転ぶ…それ自体を楽しんでいるのです。その子に未来も将来もありません…
      正確には未来も過去も今に含まれているのです!
      そして、その楽しみの中では生命にプログラムされた命の知恵の鍵が開き
      扉は解き放たれるのです。
      赤ん坊は2速歩行という神秘の世界に突入していけるのです。

      そうだったんです、僕らは赤ん坊のままスケールアップして大人になればよかったんです。

      やっぱり僕はこの年になるまでサーフィンを待たされた意味があったのです。
      それは何重にも何重にも意味のある熟成された出会い(再会?)でした。



      人はデンジャラスな人生の瞬間、えにもいわれぬ生の充実感を
      実感する事があります。
      それが大きな犯罪に結びついたり、悪意のある行動に向かう事もあります。
      そこには次から次へ、その快感事態を求めないと平静を保てなくなる
      ダークサイドがあります。

      お酒は百薬の長だけど過ぎればアル中、
      サルに自慰を教えれば死ぬまでやめれません。

      他に何かをして得られる開放感、充実感は欲望のエスカレート
      無限連鎖を産みます。

      しかし本来、人は足る事もしっているし
      自分の存在そのものを喜べる自分があるものです。

      条件による幸福でなく自分が幸福自身になる…
      これは僕がカフェ天人を作る時のコンセプトでした。
      これで完璧のはずでした。

      しかし攻撃を受けても影響が出ない平常心備わった塊は、
      妬みや恨みに狂逆縁の人にさらされると、
      逆にさらなる恐怖を駆り立ててしまう事があります。

      だからといって殴り返すわけにもいかないし…ね
      昔から何度もこの経験をしてきました。

      昔、あまりにも公然と面と向かって悪意をぶつける友人に
      何をされても全く怒らないでいる僕にその男性は
      「お前は俺を馬鹿にしてるだろ…」といわれました。
      その時僕はやっと彼のつらい気持ちを理解できたのでした。

      殆どはは時間が解決してきましたが、逆に敵対反応を期待する相手には
      怒りを増徴させしまい、その人は自分で自分をさらに傷つけて消えていきました。


      今回の学びで僕は、多分、悪意ある人もそのまま愛せる…
      そうなれるヒントを見つけました。

      「その人自身を助け役立てる未来の自分を使う」という具体的なアイデアを見つけ、
      その理論を見出せたのです。

      これが実践できれば僕はマヤでいわれる未来から過去に流れる時間が実在すると
      考えられます。




      そして僕はこの後、その技法がハワイに古代から存在する事をしります。
      僕の仮説のように未来を使うという事は何も名言されてはいませんが
      くわしい理論や理屈は別にして、方法論を多くの伝統的な人たちが
      実践している事をしります。
      現地の人はその仕組みまでは知ろうとしません。
      ただ先祖代々、そうなるものだと教えを受け継いでいるのです。


      その秘儀とは、日本の陰陽道、中国の風水などとは全く違う問題解決法

      ho-o-ponopono
      といいました。

      今回も、又、このご縁は、僕が探すのではなく

      向こうからやってきてくれたのでした…


      つづく














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        コメント
        じゅんさんはじめまして。これまでお名前はいろんなところでお聞きしていました。こちらもよく拝見していますが、今日初めてお便りしています。私はマウイでお会いしたことがあると想います、國友須賀の長男の悠一朗です。ダンサーです。昨年の10月にはメキシコにゆき児島さんとともにレヒーナ巡礼の旅をしてきました。今岡野さんに曲を提供していただきアマテルという作品などで日本全国で踊りの祭り、IZANAI総おどりを興しています。願い、祈り、魂から踊る祭りです。junさんにわたしは直接お会いしていませんが知恵子サンとの会話でもお名前をお聞きしていました。ですからとてもご縁を感じております。

         実はついにレヒーナが日本にやってきます。4月にアントニオベラスコピーニャさん、マヤ文明、パレンケを発掘したアルベルトルスさん、竹西知恵子さんがシンポジウムでやってきます。

         20日、東京。23日大阪。27日香川でIZANAI総おどりが同時開催です。http://www.suga-izanai.org/japanese/news_20080226.html

        是非ご覧になってください!!!あとわたしたちIZANAIのホームページにもぜひお越し下さい。

         本当にありがとうございます。

        いつもこころに太陽を!!!!

        國友悠一朗
        | 國友悠一朗 | 2008/02/27 7:01 PM |
        悠一朗さん

        コメントありがとうございます。

        僕も楽しみにしています。

        是非日本でお会いできる事を楽しみにしています。

        そしていつか同じ舞台で表現できたら幸せです!!

        身体に気をつけてぐださいね^^
        | JUN | 2008/02/27 8:46 PM |
        junさん、お返事ありがとうございます!!!
        お会いできること、本当に楽しみにしています。

        またよろしければ何かありましたら私にメールいただければ
        光栄に想います。

        いつもこころに太陽を

        國友悠一朗より
        | 國友悠一朗 | 2008/03/01 3:25 PM |
        JUNさん、先日は三井ひとみさんと私どものスタッフの斉藤がお会いできたということをお聞き致しました。こんなにも早く動き始めていることが本当に神様のはからいは凄いなあと感じています。

        ひとみさんもメールで私にJUNさんのエネルギーの強さを伝えてくれました。

        いつかお会いできる日も近いですね。

        いつもこころに太陽を!!!

        國友悠一朗
        | 國友悠一朗 | 2008/03/03 12:32 PM |
        國友悠一朗さん

        ほんとですね。
        この件に関してはまさしく「なさざれば成る」…
        で最高のタイミングで最速に事が進んでいる
        気がします。

        僕でお手伝いできることがあればなんなりと
        おっしゃってくださいね(^^)v
        | | 2008/03/05 2:12 PM |
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