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    今ハワイです この7年を振り返って…総括
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      いまハワイです。

      去年は天人関係で新店舗オープンの話が相次ぎ
      海外公演は殆どできませんでした。
      今年はできる範囲のマイペースで活動を再開したいと思います。

      今回はオアフ島で行われる日本レイキ協会さんの招きでワークショップを行います。
      後、参加者の方の車椅子の介護という意味でも参加させていただきます。

      その後とマウイ島の日系人の新年会に参加する予定でしたが
      (獅子舞の披露)は申し出が急すぎて今回は難しい感じです。

      しばらくマウイに滞在しハワイ大学での日本語学科と演劇学科で
      授業をさせてもらいに行きます。
      大学を紹介してくれた由美ちゃん、お世話になるヒロコ先生、ほんとに感謝です。
      そして宜しくお願いします。


      ハワイは実に7年ぶり…ハワイで大きく人生が変わる人は多いですが
      僕も同じく、今を思えば色んな大道芸やパフォーマンスをしていたころから
      今の傾舞(kabuku mai)の確立に専念し始めたのは
      その時の旅からだったように思います。

      今日はハワイから始まったといっていい僕のあまり話さない体験のひとつと
      そこから始まった僕の活動についてお話しましょう。





      当時、中央アメリカ、ナバホの聖地、ビックマウンテンにいた僕は、
      ハワイのあるシャーマンに会うために帰国前にマウイに滞在していました。

      無事、現地のシャーマンにお会いできた僕ら一行は歓迎の儀式をしていただける
      事になりました。
      そこで僕は歓迎のセレモニーの最中に始めてトランス状態と呼ばれるものに
      なってしまいました。

      勿論ノンドラック、ノンアルコール!
      当時の僕はカフェインにすら気を配っていた時代でした。

      そうです…その時は突然やってきました…
      理性の崩壊というか…自分自身の体験なので疑いようがありません。
      しかしその体験の意味は当時の僕にはかいもく検討がつきませんでした。
      あれをトランス状態というのでしょうか?
      意識はありませんでしたが、僕は椅子から後ろにヒックリ返って
      火の回りを踊り始め、最初は幸せそうに笑いながら踊っていました…
      しかし…僕のコントロールも効かず、だんだん踊りながら激しく暴れ周り
      最後には中央にあるセレモニー用の焚き火の中に手を突っ込んで、薪を蹴散らし、
      炭を周りの人に投げつけてているではありませんか!
      (通常セレモニーは写真や撮影は禁止されるものですが、何故か
      その時、儀式を行ってくれていた司祭の指示があり
      ビデオの記録を撮っていたのです)

      演奏をしていたのは一緒に旅をしていた天空オーケストラの岡野さんとノブちゃん
      岡野さんの経験では、そうなった人間は音楽で呼び戻すしかないそうで
      怖がって演奏をやめてしまうと、いってしまっている僕の命に関わる事も
      あるのだそうです。

      ビデオに写っている岡野さんとノブチャンは
      飛んでくる炭をよけながらも演奏をやめることなく続け、
      僕を無事、落ちつかせてくれたのでした。

      ひっくり返って気を失っている僕を岡野さんが抱きかかえて頬を叩かれ
      やっと正気になりました。

      僕は、岡野さんに
      「よくやったな…女性で巫女体質の人はいるが男では貴重な存在だ…
      お前、ダンサー、向いてるんじゃないか?
      これからはダンサーでいけよ…」
      当時の僕はダンサーとしての活動より、大道芸人として生計を立てていました。
      微笑みながら話しかける岡野さんの顔にも、ビッショリ汗がにじんでいました。
      あの時は本当に助かりました。
      岡野さんノブチャン本当にありがとう!



      ハワイから帰国して
      その時から僕は自分が踊るべきダンスを模索し始めます。
      その時は意味は判らなくても、意味のない事は起こらないはず
      僕は疑問はとことん探求する性分です。
      その体験の意味を探るため、僕は自分の知っている武道や気功、禅の考え方や
      それまで経験してきた環太平洋に散らばる、様々な民族文化(特にマーシャルアーツ)
      を道具としてその意味と仕組みを探ろうとしました。
      体のづくりも根本的にやりなおし、方法論を体系づけるため学術的に系統立てて様々な訓練をします。
      それまでコンテンポラリーダンスや舞踏の経験はあり、それで食べてはいけてませんでしたが、
      それなりに舞台も数だけはこなしていました…
      しかし…
      あの感覚は今までのどれとも全く異なるものだったのです。

      あの時の微かな記憶を頼りにその意識状態を発展させつつも、
      自分を自覚してコントロールできるような方法論はないものか…

      様々な先生に教えも乞いました。

      旅も続け、様々な国で伝統的な芸能の見聞も広めました。

      しだいに僕は古代のダンスや祝詞はこの時の感覚に近いものが共通で
      あるのではと考えるようになりました。

      僕の体験は祭りの高揚感にも似た昔の「日常的非日常感覚」…
      なんじゃないかと思ったのです。

      今考えると多分それは環太平洋にちらばる色んな文化の片鱗を
      自分なりにジグソーパズルのように
      再編集する作業だったように思います。
      仮説として僕は何とか自分の体験を系統立ててまとめる所までもってくれたのです。

      こうして傾舞( kabuku mai )は生まれました。

      そしてそのための身体開発のため未塾というメソッドを作り
      未熟体という概念を導き出します。

      それまでコンテンポラリーダンスや舞踏の経験、大道芸人のメソッド、武術武道の経験
      すべてが詰まったのが傾舞( kabuku mai )であり未塾でした。




      しかしそれが正しいかどうかを検証するすべが芸能の場合非常に難しいのです。
      下手をすると単なる独りよがりなマスターベーションになります。
      スポーツ選手なら新理論が正しければ、記録の数値が伸びます
      武道家なら技がきまり、できなかったことができるようになります。
      僕は多くの場合これらの分野でそう結果をだしていました。

      芸能は抽象的で、主観が入りやすい(つまりできたつもりになる)分野です。
      何か他に証明方法を発明しなければなりません。

      その後、思うところあって、今の僕の活動のもうひとつの柱、俳優業も復活します。

      そしてどこにも所属せず自分の研究と発表、
      そしてそこで生まれた文化発信をするための
      場所を作ることを思いつきます。

      文化芸能は、その昔、祈りや素朴な人々の祭り祭事、日常と密接につながり、
      人々は自然な日常の中で祭りや儀式といった非日常を混在させて季節と
      その土地の生きる知恵、生態系の仕組みを学ぶようになっていました。

      芸能は人と天地をつなぎ、大地で人が成すべきを悟り行動する重要な神(自然)おろし
      の儀式だったのです。

      そうしてできたのが人が生態系の一部として機能する
      日本独自の里山文化であり、それを愛で、楽しんで学ぶのが伝統芸能…
      いや僕の言葉でいうなら天然芸術だったのです。

      ハワイから始まった体験が日本の大都会でもできるのか…
      そしてその土地の使命を活性化させ、その大地の必然を人の芸能が
      生態系の一部となって機能する事ができるかどうか…
      そんな事が実験できる居場所つくりが必要でした。

      僕の研究が正しければ、マスターベーションでない他がための芸能は
      その土地を活性化し、その土地の役目を復活させるはず…
      ダンスがその楽しむためだけの行為を超える事ができるかどうか…
      僕は日本全国その場所を探しました。



      そしてあれはタイからの旅から返ってきた時でした。
      大阪北区の中崎町に拠点を作る事を決心したのです。
      僕はそこで何かをしなければならないと感じていました。

      その場所が大阪大空襲の戦火を免れ、お地蔵様で囲まれたエリアに
      爆弾が落ちなかったという伝説の残る町だと聞いたからです。





      そこは梅田から徒歩圏内でいける場所にあるにも関わらず、
      地蔵盆、夏祭り、隣組に回覧板、お葬式は地域全員で行う…という
      昭和が、いや、江戸時代からの文化風習が、焼け残った家と一緒に残っている場所だったからです。
      (この場所が焼け残ったのには意味がある!…
      この町に残る神話は、単なる都市伝説であるはずかない!)

      ここでも又判らないことはとことん探求する性分がでてきました。

      僕がこの地に出会った必然を見つけ出したい!
      そう確信した僕は、自分がまとめあげたメソッドでこの土地が活性化し、
      その役割を始動する事で僕の研究が正しいかを
      証明できないだろうかと考えるようになりました。

      そしてその焼け残った場所のほぼ中心地、囲まれた大通りからどこからも遠いその場所を選び、
      戦火を免れた中心地を探しました。
      そして今あるカフェ「Salon de AManTo天人」をスタートさせたのです。
      そこには10年間空き家になった地区120年を越える空家が残っていたのです…

      そこで生活し、カフェをしてまかないを食べ、芸能を披露して傾舞を日々研鑽し、
      町の人の日本人的生活習慣に自分の日本人のDNAを活性化させながらその場所で寝る…。

      どこにも所属せず芸能を続ける僕なりのサバイバル術でもあったのです。

      こうして僕の「中崎町実験ファイル」がスタートしました。
      2001年7月26日のことです。

      この日から数日前、店がオープンする直前、
      電動のこぎりで27針縫う大怪我をするはめになった僕は入院先のベットで、
      じっと天井を見つめていました。
      そう計画していたマヤ暦元旦である7月26日のオープンはあきらめざるをえないのです。

      するとどうでしょう。

      見舞いにきた人の話では
      通りすがりで改装中手伝ってくれた人々が勝手に店に入り、
      僕の希望していた7月26日に
      オープンできるよう突貫工事をしているというのです。

      これには不思議な訳がありました。
      この日より数ヶ月まえ2001年5月2日、僕はたった一人で10年間空家だった
      その場所に座り込み、恩師大重潤一郎監督の言葉を思い出していました。
      「愚直生きなさい」…この恩師の言葉に忠実に事を進める方法を考えていたのです。

      そうです。当時の僕は図面も大工もカフェのこともわかりません…
      僕がカフェが作れるというのはどう考えてもウソがあるのです…

      ただ自分に愚直に生きるためにはどうしたもそう行動する以外には
      他に道はありませんでした。

      さあ一体どうして店を作ろうか?
      お金も、頼る人もいなかった僕はある結論に達します。

      そうだ!…僕はパフォーマーなのだからパフォーマンスとして改装工事をしよう。
      改装を公開して人に見てもらうんだ。
      そして見てくれる人に夢を語り知らない事は正直に話し
      できないことはできないと正直に答え
      色々意見を聞きながら成すべき事を考えてデザインしていこう…

      もしどうにもならなかったら…その時はパフォーマンスを終了し、
      自分を反省して又旅に出よう…今は自分のインスピレーションを信じるんだ!

      僕はは自分の行為を「空家再生パフォーマンス」と名づけました。





      そして抜いた釘も叩いて伸ばす「100%リサイクル」を掲げ
      毎日出る廃材の山をライトアップして家に感謝し
      120年以上ここを支えてくれた木材や石たちをリスペクトして
      家が生まれ変わる準備ができるのを確認してから
      破壊と創造を繰り返す「廃材ギャラリー」を開催したのです。
      (確認といっても僕がそう自分で納得する時間を持つだけなのですが…^^;)
      これは旅先で見聞きしたネイティブと呼ばれる
      伝統的な人たちから学んだやり方を自分なりに実践してみた行為でした。

      この地区にまだ店は全然ありませんでしたので近所の人も最初はできるわけがないと
      反対していました。
      でも毎日大声で挨拶していると次第に手伝ってくれるようになり噂は口コミで広がり、
      芸大や建築の先生が見学にくるようになりました。
      ついに、様々な学会で僕の行為が話題になり
      どこから聞いたのか学生さんやアーティスト、旅人が
      手伝いにくるようになりました。

      僕はこの地区の昔職人だったお年寄りに設備や大工を教わって店を作ったのです。

      カウンターで数えていた「空家再生パフォーマンス」の参加者は
      2ヵ月半で1127人に及びました。

      その中でお手伝いにやってきてくれた常連さんが僕の入院を聞いて
      誰にいわれるでもなく改装を継続してくれていたというわけです。
      ウソのような本当の話です。

      僕は嘘をついて病院を無理やり退院し、7月26日その日に駆けつけました。
      こうして無事「Salon de AManTo天人」は
      マヤ暦元旦2001年7月26日にスタートできたのです。

      旅芸人だった僕が地に足をつけて生活しだした瞬間でもありました。

      改装中手伝ってくれた人がこういいました、「ここの所番地で7月26日にこだわったの?」
      そうです、2001年7月26日にオープンしたその店の所番地は中崎西1−7−26番地だったのです。



      それから僕はその場所を運営しながら自分の活動を続けています。
      映画に出たり作ったり、ダンスをしたり、イベントを企画したり…
      スタッフの店を作ったりしています。
      沢山の旅人がやってきます。人と人が出会い毎日化学反応が起きています。
      非日常が日常化していく不思議な空間ができました。

      ここの最大の特徴は僕が特別なカリスマなのではなく、
      僕が旅をしていないあいだでもずっと人が再生し、活性化しつづけている事、
      面白い「非常識」にもみたない「未常識」な文化がドンドン生まれ続けていることです。

      これで今まで旅先でお世話になりっぱなしだった僕が、
      旅人のお世話ができるようなったのです。




      中崎町も変わりました。
      当時、何もなかった中崎エリアに今では50件以上ともいわれる
      手作りカフェや雑貨店ができるようになりました。
      同時期にはじめたお店もその殆ど全部が閉めてしまいましが、新旧は入れ替わっても
      相対的には今だ月、数件のペースでお店ができていっています。

      伝統と近代文明その新しい融合を提案する事…そして、
      それを司る消費されない天然芸術…
      僕の旅は今も続きます。

      あれから7年、今また縁あってハワイに呼ばれたというわけです…。

      今日のお話はこれくらいにします。
      最後まで読んでくれてありがとう。

      そしてハワイに来てこの7年分のお礼をいいに又ココにこれて本当に感謝です。
      今僕は、もう一度原点に立ち返って自分のなすべきを感じています…。



      | パフォーマンス | 21:58 | comments(5) | trackbacks(0) |
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        コメント
        こんにちは。
        一度JUNさんの傾舞を拝見しないといけないですね。楽しみにしています。
        | 柏谷 | 2008/01/30 6:17 PM |
        柏谷さん
        是非!お待ちしてます!
        コメントありがとうございました(^^)
        | JUN | 2008/02/05 4:40 AM |
        柏谷さん

        是非お待ちしています(^^)
        僕のイベントスケジュールは
        http://jun240.atpk.jp/
        載っています。
        | JUN | 2008/02/05 4:56 AM |
        写真が綺麗過ぎる!!!
        さすが、センスあるよねー^^
        本物の景色を是非見てみたいです。
        3月1日のパフォーマンスはハワイで一段と磨きがかかった
        ダンスが見れると思うので楽しみにしています♪
        | さくら | 2008/02/23 12:44 AM |
        junさんはじめまして。これまでお名前はいろんなところでお聞きしていました。こちらもよく拝見していますが、今日初めてお便りしています。私はマウイでお会いしたことがあると想います、國友須賀の長男の悠一朗です。ダンサーです。昨年の10月にはメキシコにゆき児島さんとともにレヒーナ巡礼の旅をしてきました。今岡野さんに曲を提供していただき日本全国で踊りの祭り、IZANAI総おどりを興しています。願い、祈り、魂から踊る祭りです。junさんにわたしは直接お会いしていませんが知恵子サンとの会話でもお名前をお聞きしていました。ですからとてもご縁を感じております。

         実はついにレヒーナが日本にやってきます。4月にアントニオベラスコピーニャさん、マヤ文明、パレンケを発掘したアルベルトルスさん、竹西知恵子さんがシンポジウムでやってきます。

         20日、東京。23日大阪。27日香川でIZANAI総おどりが同時開催です。http://ryuuto08.blog37.fc2.com/がブログになっています。簡単ですが情報をアップしています。

        是非ご覧になってください!!!あとわたしたちIZANAIのホームページにもぜひお越し下さい。

         本当にありがとうございます。

        いつもこころに太陽を!!!!

        國友悠一朗
        | 國友悠一朗です | 2008/02/25 10:10 PM |
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